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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)3003号 判決

控訴人 水野奉文

被控訴人 清川精一

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金200万円及びこれに対する昭和59年8月11日から支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを5分し、その2を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

この判決の被控訴人勝訴部分は、仮に執行することができる。

事実

一  申立て

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  主張

1  被控訴人の主張(請求原因)

(一)  被控訴人と訴外清川敏子は、昭和43年9月27日に婚姻届出をした夫婦であり、昭和44年3月25日には長女が、昭和46年10月11日には長男がそれぞれ出生している。

(二)  控訴人は、被控訴人の経営する有限会社○○プレス工業に雇用されていたものであるが、昭和59年3月頃から被控訴人の妻敏子を甘言を用いて誘惑し、不貞関係を持つに至り、同女を連れ出して4日間も旅行するなどのことがあつたため、被控訴人から敏子に接近しないよう強く求められたにもかかわらず、同年4月18日再度同女を連れだして不貞関係を持ち、それ以後同女は被控訴人のもとへ帰つていない。

(三)  被控訴人は、控訴人の右行為によつて平穏で幸せな家庭生活を破壊され、甚大な精神的苦痛を被つたものであり、金銭によつてこれを慰謝するとすればその金額は700万円を下らない。

(四)  よつて、被控訴人は控訴人に対し、不法行為による損害賠償(慰謝料)として金700万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和59年8月11日から支払ずみまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  控訴人の主張(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)項の事実は認める。

(二)  同(二)項の事実のうち控訴人が被控訴人の経営する有限会社○○プレス工業に雇用されていたことは認める。

(三)  同項の事実のうち、控訴人が敏子を誘惑したとの点及び不貞関係を持つたとの点は否認する。

真相は、逆に敏子が控訴人に接近してきたのである。昭和59年3月頃控訴人は敏子から電話で呼び出されて身の上話などを聞かされ、その機会に一緒に藤岡市内のモーテルに行つたことはあるが、そこでは話の続きを聞いただけであつて肉体関係はなかつた。

同年4月中旬頃敏子が再度家出したことについては、控訴人は全く関与していない。

三  証拠関係

当審記録中の書証目録、証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する。

理由

一  請求原因(一)項の事実は当事者間に争いがない。

二  当審証人清川敏子の証言、当審における控訴人本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)及び当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は昭和58年2月頃、職業安定所の紹介で被控訴人の経営する有限会社○○プレス工業に就職し、同年4月に一旦退職したが同年9月には再度同社に就職し、昭和59年1月には工場長という待遇を受けていたこと、2度目の就職後控訴人は被控訴人の妻である清川敏子に関心を示すようになり、「奥さんのことが忘れられなくて又入社した。」などと甘言を用いて同女に接近し、同女も控訴人の接近をいとわない態度であつたため、両者は次第に親密の度を深めたこと、被控訴人が妻敏子の控訴人に対する態度を不快に思い同女を殴打するということがあつた数日後の同年3月8日の夜、控訴人と敏子は藤岡市内のモーテルにおいて性交渉を持つに至り、家に帰りずらくなつた敏子はさらに翌9日の夜も控訴人とモーテルに泊まつたこと、清川敏子としては夫に無断で外泊し、右のような成り行きとなつた以上、夫と離婚し控訴人と一緒になるほかないと考え、翌10日の夜は控訴人宅に泊まり、その翌日実弟の杉本某方に赴き右実弟及び義兄である横内某らに事情を話し、今後の身の振り方を相談したところ、同人らから軽率な行動を戒められ、右杉本方で被控訴人を交えて話し合つた結果、周囲のとりなしもあつて、敏子は一時実家に身を寄せ、しばらく冷却期間を置いてから被控訴人のもとに復帰することで一応の決着を見たこと、そして同月末には被控訴人の会社に人手が必要であり、子供たちも新学期を控えていることなどから、被控訴人において敏子を呼び戻し、敏子は自宅に復帰したこと、しかしながら、敏子は精神的になお不安定な状態にあつたところ、電話を通じて控訴人から一旦は控訴人と一緒になると言つておきながらあつさりと被控訴人のもとに復帰したことをなじられて動揺し、同年4月18日外出先で控訴人と出会つたのを機会に再度出奔して控訴人のもとに走り、同年7月上旬頃までの間に、時に友人宅などを泊まり歩くこともあつたが、延べ1か月程控訴人と同棲し、この間性交渉もあつたこと、その後敏子は控訴人との生活にも疲れ、控訴人、被控訴人のいずれとも関わりを持たない生活に入つたが、一度破綻した被控訴人との婚姻関係が近い将来において修復される目途はついていないこと、以上の事実が認められ、前記控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前記清川敏子証人の証言に照らしにわかに措信しがたく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  以上認定したところによれば、控訴人が清川敏子に性的関心を抱いて接近し、同女をして被控訴人に対する守操義務に反する行為をさせたことは、被控訴人とその妻敏子との婚姻関係の平穏に対する違法な干渉として不法行為を構成するものというべく、前認定の敏子の不貞行為により被控訴人が少なからぬ精神的苦痛を被つたことは前記被控訴人本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によつて容易に認め得るところであるから、被控訴人は控訴人に対し、右精神的被害についての損害賠償(慰謝料)の支払を求めることができるものというべきである。

したがつて、控訴人の被控訴人に対する不法行為責任を肯定した原審の判断は相当というべきであるが、ただ、合意による貞操侵害の類型においては、自己の地位や相手方の弱点を利用するなど悪質な手段を用いて相手方の意思決定を拘束したような場合でない限り、不貞あるいは婚姻破綻についての主たる責任は不貞を働いた配偶者にあり、不貞の相手方の責任は副次的なものとみるべきである。けだし、婚姻関係の平穏は第一次的には配偶者相互間の守操義務、協力義務によつて維持されるべきものであり、この義務は配偶者以外の者の負う婚姻秩序尊重義務とでもいうべき一般的義務とは質的に異なるからである。

本件についてみると敏子は控訴人に対して雇用主の妻という社会的、経済的に優越した立場にあつたのであるから、控訴人の誘惑的言動も少なくとも初期においては、敏子の意思の自由を拘束するようなことはなかつたと認められ、このような状況の中であえて守操義務に違反した同女の責任が大きいことは否定し得ない。

このことを勘案すると、控訴人の行為にみられる無責任な享楽的傾向を考慮しても、被控訴人の精神的苦痛を慰謝するに500万円をもつてするのを相当とした原判決(いわゆる欠席判決である。)の慰謝料額の判断は、いささか過大といわざるをえず、前認定の諸事実及び弁論の全趣旨に照らすと、被控訴人に対し支払われるべき慰謝料の額は金200万円をもつて相当とする。

四  そうすると、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し本件不法行為に基づく損害賠償(慰謝料)として金200万円及びこれに対する履行期の後である昭和59年8月11日から支払ずみまで民事法定利率年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容すべきものであり、その余は理由がないからこれを棄却すべきものである。

よつて、原判決を主文第二、三項のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法96条、89条、92条、仮執行の宣言につき同法196条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 森綱郎 裁判官 高橋正 清水信之)

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